「借金王」小渕首相の登場その深刻な不況を見て、小渕首相は何を決断したのか?

「借金王」小渕首相の登場その深刻な不況を見て、小渕首相は何を決断したのか?

  • 2020年7月13日
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「借金王」小渕首相の登場。その深刻な不況を見て、小渕首相は何を決断したか?

限られた予算で財政構造改革と景気対策という二兎は追えないから、借金してでも景気対策をやろうと決めたのである。

しかも、公共事業を中心とした景気対策で、この不況を解決しようとしたのである。不況のきっかけは財政政策だったかもしれない。しかし、九八年の段階でそれを上回る大きな原因として金融危機が支配していた。金融危機を解決しなければ、金融機関は民間企業にお金を積極的に貸そうとはせず、景気も顕著に回復しないはずである。

それなのに、小渕内閣は公共事業で景気回復を図ろうとした。これは、処方箋が明らかに間違っていた。もちろん、財政政策は全く効果がないとは言えない。

しかし、不況の真の原因が金融危機である以上、効果は限定的と言わざるを得ない。真の原因を根絶やしにしないと不況から立ち直れない。事実、結果から見ても小渕内閣の政策は有効でなかったと言わざるを得ない。つまり、金融危機が不況の原因でありながら、財政に責任を転嫁して借金をしてでも公共事業で解決しようと試みた。

小渕内閣の時期に、いかに多くの借金をしたかを、数字で見てみよう。小渕内閣は九八年夏に発足した。九八年度の当初予算は橋本内閣が組んだが、小渕内閣は九八年度途中から政策を変更して、予算を修正した。

その結果、九八年度の決算では国債の新規発行額は三四兆円、国債依存度で見ると四〇・三%と、いずれも当時戦後最高を記録した。

誰が「借金王」にしたのか?

次いで、九九年度には、さらに増えて、国債の新規発行額は三七・五兆円、国債依存度は四二・一%に達し、現時点での戦後最高記録となっている。小渕首相は、自らを「借金王」と称した。繰り返し述べるが、国が借金をするからには、貸してくれる人がどこかにいなければならない。

もし、小渕内閣の政策に賛同せず、誰も国にお金を貸さなかったならば、小渕内閣もそうした政策を大規模に実行できなかったはずである。しかし、小渕内閣は大量に借金をすることができ、かつそれを公共事業に注ぎ込むことができた。国にお金を貸す人がいたから、小渕首相を「借金王」にしてしまったのである。

では、誰が小渕首相を「借金王」にしたのだろうか。金融機関はなぜ国債を買うのか九〇年代後半を通じて、国は借金を増やし続けた。これに呼応して国へ貸し続けたのは金融機関だった。厳密には、民間の金融機関だけでなく、郵便貯金や年金の積立金などが元手になった公的金融機関も国にお金を貸し続けた。矢印自体は九〇年代後半でもバブルのときでも、お金が流れる向きを表している。

例えば、国民は企業で働いて所得を稼ぎ、そのうち消費して企業の作ったものを買い、残りを貯金する。貯金を預かった金融機関は、企業や国・地方自治体にお金を貸す。企業は、借りたお金で生産設備のために投資し、労働者を雇って生産活動を営む。作ったものが売れれば、売上となりその一部は国民に所得として分配される。また、国や地方自治体は、国民から税金を徴収し、時にはお金を借りて、行政サービスや公共事業を行う。